新卒入社した会社を3ヶ月で辞めた私が語ろう

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新卒入社した会社を3ヶ月で辞めました
新卒入社した会社を3ヶ月で辞めました

新年度になり、そしてゴールデンウィークが明け「退職代行業者」がはやり話題になった。

「やめたい……」GW明けで利用が急増 退職代行業者は大忙し(テレビ大阪 大阪NEWS)
https://www.tv-osaka.co.jp/news/53162/

「退職代行業者」の是非はここでは別として、そこでは必ず入社して合わなかったらすぐ会社を辞めることに対しての賛否の意見が交わされる。世間一般の論調としては「入社数ヶ月では仕事の面白さなんてわからない。石の上にも3年と言うが、少し位入社前に想像していたものと違っていたり、また少し位苦しくても我慢したりしたほうが良いのでは」といったものが多い。果たしてそうなのか。
そこで新卒3ヶ月で会社を辞めた私の経験を書いてみようと思う。ただしやや一般的ではないデザイナー職であることを承知してほしい。

この記事を書いた後冷静に読み返してみた。単なるお前の愚痴だろ!その通りである。結局何のために書いているのかわからなくなり、非公開にしようとも思った。しかしこれでも時間をかけて書いたため、惜しく公開することにした。「昔はこんなひどい会社も実在したのか」くらいに読んでいただければ幸いである。
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就職活動期

大学在籍時に2年半デザイン事務所でバイトをしていた。隔週で発行される通販カタログのデザインが担当だった。その経験からデザイン関係の就職先を探すことにした。

就職にデザイン関連を望むのであれば、広告代理店、デザイン事務所、出版社、制作会社などが候補に上がるだろう。普通は卒業の1年以上前から準備する。それが合っているのかどうなのかもわからないくらい私の就職活動はいい加減だった。なぜかというと音楽を職業にすると決めていたから。周りはすでに就職先が決まっている。完全に出遅れなのだが、定職に就くのはあくまで生活の糧とするためで音楽活動がメインであることには変わりはなかった。

デザイン関連会社に就職するにも職種を絞るのだが営業は向いていない。自分がスーツを着て仕事をするイメージがまったく浮かばなかった。デザイン事務所でバイトをしていたため広告制作の基本は分かっている。それを武器にすれば美術系大学を出ていなくてもデザイナーとして採用されるだろうと甘く考えていた。新卒でデザイナーとして働くには美術系の学校を出ていないと門前払いされるのは今も同じだろう。現実は厳しかった。それでもめげずに何社か面接を受けるうちに大手広告代理店の関連会社に面接でかなり良いところまで行ったのだが営業ならと言われ断念。さらに面接を繰り返してゆくうちに運命の会社に巡り合ったのだった。

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マーケティング会社に入社

人間嫌なことは記憶から消し去る。この辺りから記憶が曖昧になってくるので間違えていることもあるだろう、まあ誰にも迷惑はかからないので続ける。

どの会社に就職しようと生涯勤めるつもりは毛頭なかったので会社の規模などはほとんど気にせず、とにかくデザイナー募集している会社面接を片っ端から受けた。そうは言っても一般の就職活動はとっくに終わっているので募集をしている会社自体少なかった。

大学の求人票で見つけ新卒でデザイナーを募集していたのは、築地にあったマーケティングと広告代理業の当時社員20数名の小さな会社。大手企業と業務の取引があった。ただしこれも今となってはかなり怪しい。

面接を何度か繰り返しそのマーケティング会社に入社が決まった。小さい会社なので同期入社は7人くらいだったと思う。その中には私の他にデザイナーとして入社した美大出身の女性が1人いた。同じデザイナー志望としていろいろな話をし同期でも一番懇意にしていた。入社して2週間位は会社とは別の新入社員研修施設みたいな場所へ毎日行き、ビジネスマナーやPCとソフトウェアの使い方を習った。外部の専門会社のプログラムだった。そして新人研修が終りついに本格的な初出社となった。

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初出社

実は初出社の日に初めて実際に社員が業務を行っている事務所の現場に入ったのである。通常は就職活動中に会社側から実際に業務を行っている場所は見せるものだと思うのだがその程度の知識もなかった。それまでは誰もいない会議室または社長室にしか入ったことがない。その事務所に入った瞬間異様な雰囲気が襲った。事務所は想像以上に狭く気持ちが悪いほど静寂。誰も少しの無駄話もしていない。息をするのが苦しくなるような異常な緊張感が社内を覆っている。

昼休みになって新入社員同士で食事に行き雑談をしていたら、ある同期社員が入社前に「業務を行っている場所を見せてください」と申し出たら断られたそうだ。そしてその同期は「あの雰囲気では見せられないよね」とため息をついていた。

会社を辞めたくなった理由

ここからは私が会社を辞めたくなった原因をあげてゆく。

私はデザイナー職でなく営業職だった

研修中はもうひとりの新人デザイナーも含め全員スーツであった。研修期間が終り通常の業務に就く段になり、もうひとりの女性デザイナーは私服であるが私はスーツで出社するように言われた。デザイナー=私服だと完全に思っていた。はじめはスーツのデザイナーというのもあるのかなくらいに考えていたら実は営業部に配属になっていた。大学の求人票には確かに「デザイナー職」と書いてあったので応募して、デザイナーとして面接をして入社した。これは何かの勘違いかと思い、面接をした重役に問うたら「デザイナーとして入社したのは承知している。しかしデザイナーの新人は足りているからあなたは営業だ」とのこと。勝手なことをあまりにはっきりと言うのであっけにとられた。その後直接の上司に相談したが「営業の方が今後のことを考えるといいよ」とこちらの想定外の応え。新人に対して何のサポートもなし。この会社がおかしいことに初日からなんとなく気がついたのだった。もちろんこれが辞めた一番の理由。

雑談が録音され重役が聴いていた

これまでも新入社員の控室代わりに会議室を与えられ、そこでは新入社員同士でその会社の良いことも悪いことも雑談として話していた。そして実は後になってわかったのだが、その会議室での会話はすべて録音され重役が聴いていたのだ。もちろん無断で。普段マーケティング会社なのでインタビュー室としてユーザーの商品に対する素直な感想を引き出すためにその部屋が使われていた。そのために随所にマイクが仕掛けられていたのだ。その事実を知った時同期の皆が寒気を感じた。

暇でも毎日退社は終電時刻

初日こそ定時に終り新入社員同士で飲みに行き親交を深めた。みな有名大学卒の良い人たちだった。しかし2日目からは仕事もなく暇なのに全員終電まで帰ることは許されなかった。もちろん残業代などという概念はない。退社時間は早くて23時半から24時。忙しいのであれば退社時間が遅くなることもあるだろう。それは承知だ。しかし忙しくもなく無理に意味のない仕事を与えられ終電までということに大きな疑問を感じた。何よりも帰って寝るだけの生活がずっと続き音楽活動どころではない。私が退職するまでこれは続いたため退職する原因となった。

全員の前で大声を出し長々と社員を叱責

ある日静寂な事務所で机に向かって仕事をしていたら、上司が女性重役に叱責されていた。この女帝みたいな実質現場の最高責任者である重役がとにかく怖くて、社員全員の前で大声で長々と叱責は続く。周りの社員は恐る恐る叱責の声が聞こえないふりをして下を向き仕事をしている。新入社員全員が驚きとても嫌な思いをした。これが一度ではなく何度もあった。

社内で食事をしていたら怒られた

毎日終電帰りである。夜9時ころになると飲食店は閉まっているのでコンビニなどで食料を買ってきては事務所の隅っこで同期の女性デザイナーと食事をしていたら別の重役から怒られた。社内は仕事をするところだから食事をする場所ではないと。仕方なくそれ以降は夜の公園のベンチで食べることになった。これは今でもなぜいけないのかわからない。

あまりに異常な社風に疲弊して退社

まだ細かい事はいろいろあるが、入社後3ヶ月たった6月には精神的に参ってしまった。考えてみれば新入社員の歓迎会もなければ直接の上司から飲みに誘われたこともない。バイトとは言えデザイン事務所に勤めていたので会社の雰囲気はわかっているつもりだった。しかしあまりにバイト先の自由な空気と違いすぎて重々しい。女性重役に退職することを話したが「新人研修にいくらかかっているのかわかっているのか」と詰められた。

退社することを伝えるために、何度もこの女性重役に呼び出されその都度嫌なことを言われた。最後それでも直接辞めると伝える時はものすごく苦痛だった。だから退職代行業者を使う気持ちが少しはわかる。こんなめちゃくちゃな会社もあるのだ。

退社した後も同僚の女性デザイナーとは連絡を取り合っていた。彼女も嫌なことがあって私が辞めた数カ月後に会社を辞めた。私と違い一般的な就職活動をして苦労の末に入社した会社。とても真面目な女性だったので会社の雰囲気が悪すぎるのと、事前に公開されていた会社情報との大きな差に激怒していた。そして大学の就職課にその会社の求人を載せないように通知したそうである。さらに数カ月後、その年に残る同期の社員全員が辞めた。

はたして退社して正解だったのか

会社を退社して長い時間がたった今退社したことは正解だっのか。正解だったと思う。あのまま会社にいてもたいした知識や経験を得られたことはなかっただろう。それ以前に精神的な病にかかっていた可能性もある。ちなみにその会社はその後も築地で細々と続き、最近経産省の法人プロフィールを見たら2019年に精算し廃業していた。退社後時々その会社のWEBサイトを見ていたが、お世辞にもマーケティング会社とはいえないレベルの低いWEBサイトであった。職業柄あまり事業がうまくいっていなかったと推測できる。苦痛に耐え長年勤めていたとしても路頭に迷っていたかもしれない。

この会社を退社した時はまだ「第二新卒」なんて言葉もない時代、この後苦労してデザイン事務所に就職したが、これもまたひどい会社であった。その後も転々としながら何とか今も生き延びている。会社に入ったらある程度は我慢も必要であるが、ひどい扱いの会社もあるのも事実。もう無理だと思ったら退社の道もあるし、そんなに悲観する必要もないのではないだろうか。何よりも身体をこわさないようにすることが先決である。

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