2023年11月3日に全世界で発売されたTHE BEATLES最後の新曲「Now And Then」。一般のニュースでも大きく取り扱われるなど、もはや単なるイギリスのロックバンドを超えた存在であることは多くの人が承知のことだろう。John Lennonによる感傷的な曲「Now And Then」と共に世間の注目を集めたのが衝撃的なジャケット・アートワークである。
Now And Then ジャケットアートワークの謎
まずこのジャケットデザインを見て皆さんはどう思っただろうか。制作者には失礼だが私には気が抜けたような脱力したデザインだと思った。しかし仕事柄何か意味があるに違いないとジャケットを凝視しながら考えること数秒。このタイトル文字の角度はもしかしてほぼ同時発売の「『ザ・ビートルズ 1962年~1966年』 2023エディション(赤盤)」「『ザ・ビートルズ 1967年~1970年』 2023エディション(青盤)」と揃えたのではないかと考えた。
この2枚はそれぞれ前期と後期の音源をまとめたベスト盤である。赤盤はTHE BEATLESの初期シングル曲である「Please, Please Me」のジャケットに使われたものと同じフォトセッションからの別テイク写真を使っている。青盤は後に同じ場所でメンバーも同じ順番に並び撮影されている。メンバーの見た目の変遷から前期後期を分けるというアイデアが使われている。
そして今回のシングル曲「Now And Then」である。歌詞の内容から「Now And Then」は「時々」と訳されているが、これを「今とその時」と解し、これら3枚が揃うようにアートワークが制作されたのではないだろうか。しかしよく見るとこの3枚は右上がりの角度がそれぞれ異なっているように見える。実際に測ってみた。
アートワーク3枚の角度
まず「Now And Then」の角度は上図のように水平から42.5度と43度。赤盤は35.8度、青盤は36.8度。赤盤と青盤は誤差の範囲として、「Now And Then」と赤盤青盤とは約7度違う。「Now And Then」の方が傾斜はきつい。デザイン上1度くらいの違いは問題ないが7度は大きい。見る人によっては印象が大きく異なるからだ。
赤盤青盤と同じ角度にしてみると
普通に考えれば先に出た赤盤青盤に近づけるのだが、何故アートワーク制作者はより傾斜をきつくしたのだろうか。実際に「Now And Then」のアートワークを赤盤青盤の角度、ここでは2枚の近似値として36度に加工してみた。それが以下の画像である。
さてどちらが良いだろうか。私も実際に加工してみてわかったのだが「どちらでもいい」と思った。デザインに絶対的な正解はない。これは加工する前は赤盤青盤と同じ36度では角度が緩いと考えて、43度に傾きをきつくしたのではないかと思ったのだが、実際に見てみると「どちらでもいい」のであった。ただ印象は異なる。43度の方がよりシャープに前向きな印象を与えるのではないだろうか。最後のシングル盤なのに前向きもなにもないのだが。私の推測だがもしかしてこれは制作者自身が考えを巡らせた結果、または制作者とレコード会社の間で何度かやりとりがあった結果なのかもしれない。デザイン制作ではよくあることだからだ。
その他のアートワーク要素
使用フォント
その他の要素を見ると、上図のように文字は以前Apple社がメインのフォントとして使っていたGaramond系のフォントを加工したもの。「W」に特徴がある保守的なSerif系フォント。
文字下のドロップシャドウ
赤盤青盤ではメンバーが手すりによりかかっている。文字の下にその手すりに代わるものを入れなければならない。イラストや漫画でいう主線を入れたくなかったのだろう。主線を入れる代わりに浮き上がらせるようにドロップシャドウが加えてある。
ジャケットデザインについて
裏ジャケットには「NOW (AND)THEN」と描かれた時計のオブジェ。インサートに詳細な解説があるがこの時計のことが書いてある。この時計はアメリカのアーティストChris Giffinが制作したもの。1997年にGeorge Harrisonがロードアイランド州プロヴィデンスの店で購入したとある。1995年にTHE BEATLESのアンソロジー・プロジェクトがあり、その時には2枚組のアルバムが活動時期によって3セット発売された。1セットごとに「Free As A Bird」「Real Love」と続けてその時点での未発表曲が発売され、最後の「Anthology 3」の時に今回の「Now And Then」が発売されるはずだったが、カセットテープに収録された元音源の状態が悪いことからその時には発売が見送られた。Georgeは当然「Now And Then」は1995年に聴いておりそれがどこか頭に残っていて、運命を感じこの時計の文字を見て購入したのだろう。結局1995年当時はGeorgeが反対して発表が見送られた。それが2023年になりAIによりデミックスという音を分離する技術が発達した結果、音質も及第点に達し発表できるようになった。George夫人であるOliviaもこの時計を見てGeorgeも許したのだと感じたという。
全体のデザインを担当したのはDarren Evans。元はユニヴァーサル・ミュージックやEMIミュージックのデザイナーで、多くのジャケット・デザインを担当している。
この裏ジャケットのデザインを見て思ったのだが、アンソロジープロジェクト時の「Free As A Bird」「Real Love」と並べるとこちらのジャケット裏デザインのほうがしっくり来る。空白を大きく取りTHE BEATLEのロゴを適度に小さく上部の隅に配置したからだろう。もしかしたらラフデザインの段階で何案か作ったうち、最終的に選ばれた2案がジャケット表と裏に使われたなのかもしれない。私が本やCDのジャケット・デザインをする際によくやる方法だ。どちらも気に入っていてお蔵入りするにはもったいないからだ。
現代美術アーティスト Edward Ruscha
Now And Then表のジャケット・アートワークを制作したのはEdward Ruscha。
Edward Ruscha(Ed Ruscha, エドワード・ルシェ, エド・ルシェ)は、アメリカの画家、現代美術のアーティスト。1937年12月16日生まれで、1960年代初期から活躍している。Ruschaの作品は、言葉や広告媒体のイメージを用いたコンセプチュアル・アートの特徴を持つ。絵画、写真、版画、映画など、ジャンルを問わない多作で多面的なキャリアを築いている。Ruschaの作品は、ポップ、コンセプチュアル、シュルレアリスムと形容される。日常的なテーマを扱った作品が多く、黒白写真も特徴的だ。特に有名なのは言葉とヴィジュアルを組み合わせたコンセプチュアルな作品。今回の「Now And Then」もまさに言葉をメインに用いた作品と言える。
Paul McCartneyの「McCartney III」のあのサイコロジャケットのデザインもEdward Ruschaの作品。Paul McCartneyの娘でファッションデザイナーであるStella McCatneyがPaulに紹介したという。
最後に
さて「Now And Then」のジャケット・デザインについて書いてきたが、最初あのデザインを見て「実は深い何かがあるのかもしれない」と考えたのは職業柄なのかもしれない。制作したアーティストに聴くと実際はそれほど深い意味はないことが多いのだが今回はどうなのだろうか。私はCD派なので日本盤CDが発売され手に入れてからこの記事を書こうと思っていたのだが、発売が2023年12月1日とまだ大分先なので我慢できずに先にこの記事を書いてしまった。実際に手に入れてからじっくりと音を聴きながらあらためてジャケットを見てみたい。
Instagramでは、ほぼ毎日お気に入りのジャケット・デザインについて解説しているので興味のある方は是非ご覧ください。